ヤッスホユック
大村 正子 アナトリア考古学研究所研究員
第8次ヤッスホユック発掘調査(2016年)
第8次ヤッスホユック発掘調査は、日本学術振興会科学研究費基盤研究(A) (25257013 H25~H29)の助成を受けて、2016年9月1日から11月9日まで実施されました。9月には発掘に並行して地中探査を行いました。
発掘調査区(グリッド)
Area 1: E8/d7, E8/e7, E8/g7, E8/d8, E8/h8, E8/c9, E8/c10, E9/d1, E9/e1, E9/f1, E9/g1 (図 1)。これらの中E8/g7, E8/h8, E8/c9 ve E8/c10は、2016 年度に新たに設定されました。
発掘区と発掘目的
2009年から2015年度までの調査では、遺丘の頂上部Area 1で第Ⅰ層鉄器時代、第Ⅱ層中期青銅器時代、第Ⅲ層前期青銅器時代の文化層が明らかにされています。 第Ⅰ層鉄器時代には遺丘全体に広がる市壁に囲まれた都市の一部が、第Ⅱ層では中期青銅器時代の大型建築の礎石群が、第Ⅲ層では前期青銅器時代の王宮址と見られる大建築遺構が発掘されています。この王宮址は、さらに東西南北に広がっているものと推測されます。
2016年度は、この王宮址が発掘された中央12グリッドの西側に設けられた4グリッド(E8/d7, E8/e7, E8/g7, E8/h8)と南側の2グリッド(E8/c9 ve E8/c10)で第Ⅰ層鉄器時代の調査を行い、また西側のE8/d8グリッドでは第Ⅱ層の堆積土を外し、第Ⅲ層の焼土に到達しました。東側の4グリッド(E9/d1, E9/e1, E9/f1, E9/g1)では、第Ⅱ層の遺構の調査を進め、その下の第Ⅲ層の王宮址の東への連続部を発掘しました。
また、10月中旬には、中央8グリッドの保護屋根を3年ぶりに取り外し、王宮址内部のクリーニングと、細部の検証を行い、現地で保存されていた大型土器等の取り上げも行いました。
西側の発掘区でおこなった調査の目的は、中央の王宮址の下に部分的に観察される焼土層が、現在までに検出されている前期青銅器時代の建築層のさらに下層に広がる第2の焼土層であると推測されることから、その焼土層へ到達するために、その上を覆う鉄器時代の層を調査し、これまでの調査の連続として、後期、中期、前期鉄器時代の文化をより正確に把握していこうというものです。東側グリッドでは、2014年に検出され始めた紀元前2千年紀前半の第Ⅱ層の建築遺構および層序をより正確に把握し、さらに掘り進めることにより、第Ⅲ層王宮址の東への連続部を確認することを目的としました。新たに設定された南側の2グリッドでは、存在が推定される王宮址の南辺を確認するため、上層の鉄器時代の調査を開始しました。
第Ⅰ層:鉄器時代
第Ⅰ層の発掘調査は、E8/d7, E8/e7, E8/g7, E8/h8, E8/c9 ve E8/c10 グリッドで行われました。
2015年度に調査を開始した2グリッド(E8/d7, E8/e7)では、第Ⅰ層の最も新しい時期第1期に属すると考えられる断片的な壁はすでに取り外されおり、2016年度は、E8/c9グリッドでわずかにこの時期の遺構が見られたものの、主にこれらの下の第2期に属する遺構の調査を行いました。また、E8/g7、E8/h8、E8/c9、E8/c10グリッドでは、 第3期に属する遺構が一部顔を出し始めました。
I-1 : E8/c9グリッッドの北西部で最初に検出された単列の石壁からなる掘り込み式遺構R116は、E8/d9グリッドで2011年に検出された第2期のR16の南壁W314と西壁W33(2011年にE8/d9グリッドで発掘された)の延長部を部分的に壊して建設されたもので、少なくとも2部屋からなる建築の一部屋です。
I-2 : ヤッスホユック第Ⅰ層の第2期に属する遺構は、現段階では少なくとも7層に分けられ、比較的短期間に壁及び建物の増改築を繰り返されたものと観られます。2016年度の調査で明らかにされたこの時期の遺構の中で最も堅牢なものは最下層のR111とR52(主要部分は2012年にE8/e8グリッドで発掘された)からなる2部屋構造の建物です。構造的には、第3期の大建築群のそれに似ていますが、やや後の時期のもので、現在のところ第2期の最古層と考えています。
この建物の一部を壊して、あるいは残存する壁を利用する形で、幾度も増改築がなされたとみられますが、その中で最も上層のR112(E8/g7グリッド)は独立の一部屋形式で掘り込みの建物で、南壁は大規模に崩落していましたが、他の3壁は石積みの堅牢な壁で、内側は漆喰で化粧されており、240cm余りの高さで保存されていました。第2期の最上層の建物はいずれも一部屋独立の掘り込み式で、E8/d7-e7グリッドのR103もその一つです。
I-3ヤッスホユック第Ⅰ層の第3期に属する遺構は、E8/h8グリッドで検出されたR35(W80, W303), およびW331、E8/g7グリッドのW286、そしてE8/c9グリッドのW315とW328があります。遺丘中央部で発掘されたR1, R5, R17, R18からなる四部屋式の建物を取り囲む後期鉄器時代の建築群の一部です。
表層の混乱した土層からですが、E8/c10で発見された青銅製の動物頭部(グリフィンの頭部)像は、ウラルトゥとの関係が考えられ、紀元前7世紀に年代付得るものです。また、第2期のR103 によって壊されているR109から出土した土製のコブラ頭部像と、ファンタスティックな動物(怪獣文)が描かれた彩文土器片等、いずれも後期鉄器時代の遺物として興味深いものです。
第Ⅱ層:中期青銅器時代
2014年度の発掘調査で鉄器時代と前期青銅器時代の間の文化層から検出された建築遺構は、堅牢ではないものの、出土土器から紀元前2千年紀の前半、すなわち中期青銅器時代に位置づけられます。2016年度は主にE8/d8、E9/d1、E9/e1、E9/f1、E9/g1の5グリッドでこの時代の調査を進めました。
1) E8/d8:
西側の本グリッドでは、2015年度に取り外された第Ⅱ層の遺構R81の直下に検出されている灰層を除去しました。この灰層はグリッドの南西隅に向かって急傾斜で堆積しており、この灰層直下に検出された同方向に急傾斜で堆積している黄褐色土は、第Ⅲ層の大火災層を覆っているとみられます。
2015年度の調査で、E9/g1グリッドで北東隅にかけて急下降している堆積を確認し、紀元前2千年紀初頭、遺丘中央部には高さ3.5 m以上、平らな頂上部の径が35〜40 mの規模の高まりがあったことが推測されましたが、E8/d8グリッドにおける南西隅に向かい下降する堆積は、E9/g1の北東端の対角線上にあり、この高まり、すなわち遺丘上にあるもう一つの遺丘の南西端部であると考えます。
2) E9/d1, E9/e1. E9/f1
2014年度にこれらのグリッドで出土し始めた紀元前2千年紀の建築遺構は、2015年度に2層からなることが確認されましたが、2016年度には、さらに下層の3番目の層の存在が明らかになりました。上から第1層はR89a、R91a(W226, W232)、第2層はR89 (W232, W233, Ins28)、第3層はR101(W275, W276, W277)です。
2014年度に検出されたR89の床面は、2015年度の調査で当初R89の北壁と考えられたW226の下に延びており、W226はR89の西壁W232に後から付加されたものであることが観察されました。つまり、床面が損失してしまっているW232とW226から成るR89aとE9/e1グリッドで W226の北側にあった部屋 R91aの直下に、本来のR89が存在したことになります。W226を取り外した後検出されたW232を背にした日乾煉瓦を敷いたプラットフォームの縁はR89の床面から立ち上がっています。W232はE9/f1グリッドまで伸びており、これに直交するW233、W234はE9/e1グリッドで確認されました。
2016年度にR89の床面とW232を取り外すと、その直下にW275とこれに続く床面からなる遺構R101が検出されました。W275はW232同様、E9/d1グリッドの北西部からからE9/f1グリッドの南東部まで伸びており、 W275の西側と東側にはそれぞれW275に直交する壁W276とW277が検出されました。R101の床面下に検出された不規則に詰められた大型の石群は、床面の補強のためのものとも考えられますが確かではありません。
E8/d10グリッドで2011年度に検出された側溝のような遺構Ins4は、W275と共伴することが確認されたましたが、その機能は不明のままです。R101の床面下の石群及び壁は、第Ⅲ層の焼土上に築かれていたことが確認されました。
W275はW232の直下でこれほぼ方向で伸びていますが、やや幅が狭いことがE9/e1グリットで明確に観察されました。ただし、第Ⅰ層による破壊は激しく、R101の壁もその最下段の石列が断片的に残存するだけで、床面も明確には確認されず、すぐ第Ⅲ層の焼土が観察されました。また、W275の西側でも床面は確認できませんでした。
3) E9/g1:
2015年度の調査では、第Ⅰ層の遺構を取り外した後、第Ⅲ層の焼土層を覆う覆土の掘り下げを継続しました。この覆土は包含されている土器片等から紀元前2千年紀に属すると考えられます。この覆土はグリッドの北東隅に向かって、急傾斜で落ち込んでいます。2016年度もこの掘り下げを継続したところ、グリッドの北西隅と南東隅を結ぶ対角線上に約1mの垂直な落ち込みが現出しました。この落ち込みは第Ⅲ層の王宮址のR47の覆土を切っています。
紀元前2千年紀のものと考えられる覆土から円筒形印章が押印された赤色土器片が出土しました。
第Ⅲ層:前期青銅器時代
前年度までに検出された前期青銅器時代の王宮址の東への延長部分をE9/d1, E9/e1, E9/f1, E9/g1グリッドで発掘しました。また西側のE8/d8, E8/e8, E8/f10、 E8/g10グリッドでは王宮址内で部分的に残存していた覆土の取り外しや、ピトス等の取り上げを行いました。
1) E9/d1, E9/e1, E9/f1, E9/g1
E9/d1 : 2012年度にE8/d10グリッドで発掘されたR39の東部分を確認する目的で調査を行い、R39の覆土を除去し、W19とW80の延長部を明確にしました。また、東壁W287は王宮址の他の壁と異なり、礎石がなく、床面から日乾煉瓦が積まれていることが確認されました。
R39内部では、W80に作りつけられた3段のステップが付いたプラットフォームIns30が検出されました。このプラットフォームはR8の西壁に検出されたIns3と方向も作りも同様ですが、やや小さいものです。このIns30のすぐ前には小型の円形の炉が取り付けられていましたが、こうした構造は今までに例のないものです。また、W80とW19沿いには幅約55-60cm、高さ約35センチメートルのベンチが存在します。東壁W287のすぐ前には中型の壺(No. 10)が検出されました。W80の東部分ではR8とR39をつなぐ出入り口が発掘されました。
E9/e1 : R8とR21の連続部の発掘が行われ、R21の北壁W58と直交する壁W278が確認されました。W278はR21の内側に張り出し、南東へ伸びるW281とコーナーを作り、W278、W281、W282から成るR102、R104、 R105も検出されました。
E9/e1グリッドの北西隅に残っていたR8の北東隅部分の発掘では、R8の床面上に設置された日乾煉瓦で囲まれた矩形の遺構Ins31が検出されました。W19とW80を背に設置されたIns31は、おおよそ100x150 cmの広さで、高さは本来約100 cmあったものとみられます。ただし、W19とW80沿いにその高さまで積み上げられた日乾煉瓦がわずかに残っているものの、他の部分では20-25cmほどの日乾煉瓦が残存するのみです。W19の前面のIns31のすぐ西側に口縁部を下に逆さまに置かれた土器が出土しました。Ins31はR8-R21間とR8-R39間に設けられた二つの出入り口の間のコーナーに設置されたものですが、その機能も置かれていた土器の意味も不明です。
これまでにE8/f10とE8/e10グリッドで確認されたR8の両脇にある廊下状の細長い空間の一つであるR21のE9/e1における延長部での床面は、W278とW281の作る外角とR8-R21間の出入り口を結ぶ線までは平坦に続き、ここから東に向かっては、階段状に高まっていたことが確認されました。残念ながら東端では床面は壊され、確認できませんでしたが、グリッドの東端に出土したW294はR21の東壁と考えられます。W19、W281、W294で囲まれている空間の床面の直下で出土した不揃いな石列(W289, W292, W293)は、建物の地下礎石で、主壁を繋ぐ補強壁であったと考えられます。これらの補強壁の間(Ins32, Ins33)には、赤黄色の粘土質の土が詰められていました。
R21の床面の発掘に際して、15 cmの長さで星型のヘッドをもつ青銅製のピンと腕輪2点が出土しています。
R104とR105の床面もR21のそれと同様に、東に向って高くなっており、階段状に高まるR21の東端床面と一致するように見えますが、鉄器時代の建築によって破壊され、明確にその地点を確認することはできませんでした。
R104とR105の間のW282の延長線上のW295も、W289、W292、W293と同様に床面下の補強壁と考えらます。R104とR102間のW278上には出入り口が検出されました。
E9/f1 : 鉄器時代の掘り込み式建物であるR24の直下に検出されたR102(一部はE9/e1グリッドで発掘)は、W121、W278、W58からなり、東壁W124は鉄器時代のR29によって壊されたため、E8/f10でわずかに保存されていました。
R102の床面は南東隅に向かってわずかに下降し、北壁W121の前には、壁と平行に約2メートルの幅で端から端まで大型の平石が敷かれていました。この敷石は、床面上に設置されており、その上面には化粧土と漆喰の痕跡が残っていました。この敷石の隙間と 床面から径1cmほどの紡錘車がかたまって出土し、また、幾つもの土器が出土していますが、この敷石遺構もR102もその機能については不明です。さらに、R102の床面からは銅を精錬する際にできると考えられる硫化鉄が出土していますが、精錬等に関わると見られる設備は確認されていません。
E9/g1 : E8/g10グリッドでは、第Ⅲ層のW90とW121からなるR47を覆っていた第Ⅱ層中期青銅器時代の堆積土を取り除き、R47内部の覆土を発掘し、R47の床面を検出しました。しかし、R47の床面は、第Ⅱ層中期青銅器時代の時期になされた広く深い掘り込みにより、その半分以上が失われていました。
グリッドの南西隅では、鉄器時代の遺構R30のW139とW74によって大きく破壊されたW121の南面と、W121と直交するW124がわずかにその痕跡を残していました。
2) E8/d8, E8/e8, E8/f10, E8/g10
これらのグリッドでは、小規模な追加作業が行われました。
E8/d8 : 第Ⅰ層、第Ⅱ層の建物によって破壊されてしまっている北壁W45とわずかに残存する東壁と西壁(W60、W253)によって囲まれたR36の床面の検出を行いました。床面上には、炭化した小麦の粒や土器片が多量に残されていました。
E8/f8 : R19のW45の前にわずかに残存していた炭化材を含む焼土を除去し、W45の床面を現出させました。
E8/f10, E9/g10 : 2013年にこの2グリッドで行われた発掘調査では、貯蔵庫と考えられるR46内部で壁沿いに据えられた多くの大型甕 が検出されました。これらの甕は調査終了後、保護屋根の下の原位置で保存されていましたが、今シーズン、それら全てを取り上げました。R46は鉄器時代の掘り込み式建物R29及び大ピットP34によって大きく破壊されており、その床面は、壁のすぐ前でわずかな帯状に残存しているのみでした。
この王宮址の発掘により出土した遺物としては、先に挙げた青銅製のピン、リング、針、焼成粘土製の紡錘車のほかに、石製の錫杖頭、ビーズ等があります。土器では、R46で取上げた大型土器と共に、浅鉢や皿、小杯、片手付き杯等の小型土器や、嘴形注口水差し等の中型土器も見られます。また、典型的な彩文をもつインターミディエイト土器の破片も採取されました。
3) 第2の火災層の確認
王宮址の延長部の発掘調査及内部の補足調査により以下の4ヶ所で、王宮址の下に、より古い焼土層が確認されました。
1. E9/d1グリッドでW287の東側(R39の東外部)で検出され始めた赤褐色の焼土はR39の東壁W287の下に潜り込んでおり、R39よりも古い下層に属すると考えられ、この層に属する日乾煉瓦壁の上面が観察されました。ます。また、R39の東外部の生活面は、鉄器時代の建築によって消失してしまったものとみられます。
2. E9/g1グリッドでR47の床面を切っている掘り込みの断面に、R47の床面下に焼土層とそこに開けられた木梁の跡かと思われる平行に並んだ?個の横穴が観察されました。
3. E8/f10グリッドの東断面の観察から、東隣のE9/f1グリッドで発掘されたR102の床面とR46の東壁W124の下により古い焼土層の存在することが確認されました。
4. E8/d8グリッドでは王宮址のR36とR37の間の壁W60を切っているピットP275の発掘を行いました。このピットの底面及び側面に確認された焼土層は、W60およびR36よりも下に位置し、この焼土層に属する壁も観察されました。
これらの焼土層は、現在大規模に現出している王宮址の下に、さらに激しい火災を受けた第二の火災層が存在することを如実に表しています。そして、この火災層には、現在発掘されている王宮址と同様の大遺構が存在すると推察されることから、古代アナトリアの都市国家の基盤を更に古く遡って検証できる可能性が高まりました。
ヤッスホユックでは、中央のArea 1の19グリッド(1,900 ㎡)に保護屋根をかけ、2016年度に新たに設定した3グリッド(300 ㎡)はジェオテキスタイルで覆い、発掘調査を終了しました。
4.地中探査
2016年度の地中探査は、ヤッスホユック頂上部の第2の高まりの下図赤色斜線部分で行い、2015-2016年の探査により、この地域にも、2もしく3層に区別し得る遺構群の存在が明らかとなりました。
第8次ヤッスホユック発掘調査(2016年)を開始しました
発掘作業の様子
第8次ヤッスホユック発掘調査は9月1日に開始しました。犠牲祭のため9月12日〜18日の1週間、調査は中断されましたが、その後の今季の調査に繋ぐ、良いスタートが切れました。
今季の調査は、遺丘頂上部で6次、7次調査で検出された第Ⅱ層の遺構をさらに精査し、東側グリッドでは、第Ⅲ層の前期青銅器時代の王宮址の南東への広がりを確認します。西側グリッドでは、第Ⅲ層の王宮址の層のさらに下に存在するとみられる焼土層を確認するために発掘を開始した2グリッドで掘り下げを継続し、鉄器時代の層を調査します。さらに、昨季の地中探査で大型遺構の存在が確認された頂上部第2の高まりで、発掘調査を開始する予定です。
今季の調査は遺跡での発掘作業を11月5日まで行い、11月6日〜12日に発掘区に保護屋根を架け、遺物の登録作業を終える予定です。