第3次ヤッスホユック発掘調査(2011年)
大村 正子 アナトリア考古学研究所研究員
ヤッスホユック全景
第3次ヤッスホユック発掘調査は、2011年9月5日から11月4日までの9週間に渉って行われました。
第3次調査は第2次調査に引き続き、次の2点を調査目的としました。1) 第I層では、2009−2010年に出土し始めた遺構(後期鉄器時代)の調査を進め、その構造を明らかにすると共に、中期、前期鉄器時代の層が存在するか否かを探ること。2)第II層の紀元前3千年紀末から2千年紀初頭に年代づけられると思われる焼土層まで掘り下げ、磁気探査で検出された大遺構の調査を進めること。
発掘調査は、遺丘頂上部のArea 1で、昨年までに設定されている6グリッド(E8/d9, d10, e9, e10, f9, f10)に加え、さらに北の2グリッドE8/g9, g10を設定し、全8グリッド(20mx40m)で行いました。
第Ⅰ層
新たに設定したE8/g9, g10グリッドでは、後期鉄器時代の4建築層を確認し、さらに古い遺構が現れ始めたところで、今シーズンの調査を終えました。
第Ⅰ層遺構出土状況 E8/g9,g10グリッド
E8/f10グリッドでは、昨シーズン取り外した第Ⅰ層第3建築層の遺構の下に、第4、第5建築層の遺構を確認しました。いずれの遺構からも後期鉄器時代の土器片が出土しています。これらの遺構の下に、第5建築層の遺構R29により壊されている大きなピットP34が検出されました。このピットは、シルエット描写の鹿文や同心円文が特徴的なアリシャルⅣ式土器やカマン・カレホユックの第Ⅱc層の土器に類似した土器片が多く出土していることから、中期鉄器時代に年代付けられ得ると考えられます。
アリシャルⅣ式鹿文付土器 第Ⅰ層出土
青銅製鏃 第Ⅰ層出土
E8/d9, d10、e10グリッドでは、昨年出土した第2、3建築層の壁を外し、さらに掘り下げました。E8/d10, e10グリッドでは第3建築層の大遺構の一部R17の直下に、やはり大遺構を構成していたものと見られる大きな石壁の断片が出土しました。また、E8/d9, d10グリッドにまたがって脆弱な掘込み遺構R28が検出されました。出土土器から、これらはいずれも後期鉄器時代に属すると考えられます。E8/d9グリッドの南西部で第3建築層に属する壁の下から、ピットP41と、このピットに一部壊されている遺構R33が検出されました。P41から出土した大量の土器片の多くは、カマン・カレホユック第Ⅱc層の土器に類似し、カマン・カレホユック第Ⅱd層の土器に類似した土器片も幾つか観察されました。従って、P41およびR33は中期もしくは前期鉄器時代に年代付けられると考えます。 昨年、鉛製ヒエログリフ文書の小片が撹乱層からですが出土しており、今シーズンにはP41と E8/f10グリッドのP34からは中期−前期鉄器時代の土器片が検出されていますが、R33からはほとんど遺物が出土しておらず、ヤッスホユックの中期、前期鉄器時代を考察する上で必要な資料を提供してくれる建築遺構はまだ確認されていません。
第Ⅰ層からは、後期鉄器時代の彩文土器や黒色磨研土器その他の破片が多く出土し、上述のように前期、中期鉄器時代の土器片も確認されました。土器のほか、青銅製の鏃やフィブラ、ピン、鉄製ナイフ等も出土しています。また、P41からは、未焼成の紡錘車もしくは錘が数点出土しています。
彩文付クラテール 第Ⅰ層出土
青銅製フィブラ 第Ⅰ層出土
第Ⅱ層
今シーズンは、第Ⅱ層の焼土層に属する建築遺構を全8グリッドで明確に確認することを目標としました。昨シーズンからの発掘を継続した6グリッドではそのプランをおおよそ示すことができ、また、新たに設定した2グリッドでは、その上端の一部を確認することができました。その結果、この建築遺構が北西−南東方向の軸をもち、中央室もしくは中庭と見られるR8を中心に、廊下や各部屋がまさしく左右対称に配置された大遺構で、アシュールの宮殿址に似たプランを示していることが明確になりました。
第Ⅱ層 王宮址
R8:
E8/e9グリッドではR8の北西部を掘り下げました。約240cmの高さで保存されていた北西壁の中央部には、3段のステップがついた壇が設けられ、この壇には上面にも側面にも丁寧に化粧土と漆喰が塗られていました。また、隣のE8/e10グリッドにまたがる部屋の中央部に設置されていた直径240cmの円形の炉の側面にも漆喰が塗られていました。床面上には、12個体以上の大型の土器が壊れた状態ですが現位置で発見されました。E8/d10、e10グリッドではR8を床面まで掘り下げることはできませんでしたが、E8/d10ではE8/d9から延びているR8の南西壁W47とその壁に直交する、おそらく部屋の正面入り口があると考えられる壁W80を検出しました。W47には南側の廊下R27と繋がる出入口も確認されました。
R37:
E8/d9では、R8から細長い廊下R27を隔てて南側にある部屋のうちR37を床面まで掘り下げました。R37は南西部半分が第Ⅰ層の建築およびピットにより壊されていましたが、部屋の中央にR8のものよりも小さいですが同じ作りの円形の炉があり、部屋全体に幾つも置かれていた大型の甕が、床面上に現位置で壊れて出土しました。
第Ⅱ層王宮址 R37
第Ⅱ層王宮址 R19
R19:
E8/f9グリッドでは中央のR8の背後にある部屋のうち、昨年検出したR19を 床面まで掘り下げました。 床面から約30-40cmの高さまで、崩落した建築材と思われる 炭化木材がR19の南半分を埋めていました。
漏斗形土器 第Ⅱ層出土
印影付封泥片 第Ⅱ層出土
R8, R37の床面直上で出土している大型の土器はほとんどが赤色磨研土器で、多くが手づくねです。尖底の甕や嘴形注口のついたもの等、種々の形体が見られます。破片として出土しているものには、インターミディエイト土器(中間期土器)に類似した彩文土器片や、底部に糸切り痕の強く残った小形杯の様に、紀元前3千年紀後半を示唆するものが多く見られます。しかし、第Ⅱ層の壁W47近くから出土した2点の封泥片には、紀元前2千年紀第1四半期のアッシリア商業植民地時代の典型的な意匠を示すスタンプ形印章が押印されていました。また、第Ⅱ層の煉瓦壁W58を壊しているピットP34から、明らかに2千年紀前半のものと見なされる青銅製スタンプ形印章が出土しています。
第Ⅱ層の問題点
ヤッスホユックの第Ⅱ層では、上述の様に、王宮址とも考えられる大火災を受けた大遺構が出土し始めています。この王宮址を紀元前3千年紀後半の前期青銅器時代に年代付けるか、紀元前2千年紀初頭の中期青銅器時代に年代付けるか、あるいは、紀元前3千年紀末から2千年紀初頭の過渡期に位置づけるかが、現在ヤッスホユックにおける最も大きな問題です。紀元前2千年紀初頭には新しい文化とともに、前期青銅器時代の文化伝統も保持されていたのか、あるいは、紀元前3千年紀後半には、メソポタミアの影響や印欧語族の移動等により、新しい文化の下地が既に準備されていたのか、その中で、後にヒッタイトの王国形成の礎を築くにあたって大きな役割を果たしたと考えられるアナトリアの都市国家がいかに形成されたのか、等、今後、ヤッスホユックの発掘調査を通して解決していかなければならない問題です。
遺構保存
ヤッスホユック発掘調査では、考古学的観点からも、発掘調査の成果を地元に還元するという観点からも、 第Ⅱ層の王宮址を最も有意義な形で保存したいと考えています。最終的な保存方法については、復元保存のプロジェクトを立ち上げ、十分に検討した上で実施する必要があります。現段階では、 昨シーズン、一部の壁で試みた保存方法が有効であると判断し、今シーズンも同様の方法で化粧土が施された煉瓦壁の堅牢化処置を発掘調査に並行して行いました。
第Ⅱ層王宮址 日乾煉瓦壁の保存修復作業
発掘作業終了後、発掘区(20mx40m)全体を保護屋根で覆い、出土遺物をカマン・カレホユック考古学博物館に納め、第3次発掘調査を終了しました。
第3次ヤッスホユック発掘調査は、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(B)の助成を受けて行われました。
第3次ヤッスホユック発掘調査途中経過(2011年)
2011年9月5日に第3次ヤッスホユック発掘調査を開始しました。今シーズンは、昨年までに設置した6グリッドの北にさらに2グリッドを設置し、計8グリッド(1グリッドは10x10m)で調査を行っています。北端の2グリッドでは第Ⅰ層の遺構の検出を進め、その他のグリッドでは昨年に引き続き、 鉄器時代の遺構を順次取り外しつつ第Ⅱ層の火災層に掘り進んでいます。