カマン・カレホユック

大村 幸弘 アナトリア考古学研究所長

第33次カマン・カレホユック発掘調査(2018年)

はじめに

写真1:発掘作業[クリックで拡大]

写真1:発掘作業[クリックで拡大]

第33次カマン・カレホユック発掘調査は、2018年7月〜9月にかけて行ないました。この発掘調査の期間中、査察官としてトルコの文化・観光省からアンカラのアナトリア文明博物館のニメット・バル学芸員が派遣されてきました。発掘調査には、アーヒ・エヴレン大学、ビルケント大学、コチ大学を始めとしてトルコの6大学から学部生、大学院生が参加しました。また、考古学フィールドコースの期間中には、日本の学生も発掘調査に参加しました。(写真1)

図1:2018年発掘区[クリックで拡大]

図1:2018年発掘区[クリックで拡大]

調査目的

2018年の発掘調査の目的は下記の通りです。

カマン・カレホユックの発掘調査目的は「文化編年の構築」ですが、それにそって発掘調査は進められています。これは1986年の発掘当初から継続して掲げているものですが、2018年の調査でも、北区では「文化編年の構築」、南区では「前2千年紀後半の建築プランの把握」を目的として発掘を行ないました。(図1)

カマン・カレホユックの文化編年

1986年の第1次発掘調査から今日まで構築したカマン・カレホユックの「文化編年」は下記の通りです。

第I層は、15〜17世紀のオスマン帝国時代、第II層は、鉄器時代の前1200年〜前330年、第III層は、中期・後期青銅器時代—アッシリア商業植民地時代、ヒッタイト古王国時代、ヒッタイト帝国時代-で前2000年頃〜前1200年、第IV層は、前期青銅器時代の前3000年〜前2000年です。(図2)これまでの発掘調査で、銅石器時代、新石器時代の土器、黒曜石製石器、土偶などが見つかっていますので、前期青銅器時代の直下からは今後銅石器時代、新石器時代の文化層が検出されるものと思います。

図2:カマン・カレホユックの文化編年[クリックで拡大]

図2:カマン・カレホユックの文化編年[クリックで拡大]

北区の建築遺構

北区では、第IV層、前期青銅器時代の建築遺構の発掘調査を行ないました。北区には34個の発掘区が設置されていますが、前期青銅器時代の調査はIII〜VII区で集中的に行なっています(写真2)。

写真2:北区IV〜VI区[クリックで拡大]

写真2:北区IV〜VI区[クリックで拡大]

写真3:前期青銅器時代末の焼土層[クリックで拡大]

写真3:前期青銅器時代末の焼土層[クリックで拡大]

これらの発掘区では、前3千年紀の第三、四四半期に年代付けられる前期青銅器時代の建築遺構の調査を行ないました。これらの発掘区では大きく二つの火災層が確認されています。その一つは前期青銅器時代末の焼土層です(写真3)。そしてもう一つはV区で確認されている焼土層です(写真2)。この二つの焼土層の間には幾つかの建築遺構が重層されています。

写真4:北区 V区[クリックで拡大]

写真4:北区 V区[クリックで拡大]

図3:北区 V区[クリックで拡大]

図3:北区 V区[クリックで拡大]

写真5:北区 V区[クリックで拡大]

写真5:北区 V区[クリックで拡大]

昨年度の調査では、二番目の焼土層上の建築遺構の発掘を行ないました。その建築遺構は、焼土層の一部を掘り込む形で確認されました(写真4)(図3)。この建築遺構は、基礎部分には丸太が敷かれており、その上に日干し煉瓦ではなく土壁を検出することが出来ました(写真5)。部屋内の壁には漆喰が厚く塗布されておりましたが火災を受けた痕跡は認められませんでした。このような建築形態、つまり基礎部に木材、そしてその上に土壁を置く形態は3層確認されていますが、それ以降の文化層では今のところ全く確認されていません。その直上にあるアッシリア商業植民地時代の建築形態—土台に石壁、そしてその上には日干し煉瓦で壁体を構成する-ものとは大きな差異が認められます。これをどのように考えるかは今後の問題として置く必要がありますが、その建築形態直下の火災層内で検出される建築遺構と比較考察する必要があります。

北区の出土遺物

写真6:紡錘車<br />[クリックで拡大]

写真6:紡錘車
[クリックで拡大]

北区の前期青銅器時代の出土遺物には、紡錘車(写真6)、青銅製品(写真7)、スタンプ印章(写真8)、そして土器等があります。これらの中で彩文土器(写真9,10)は、中央アナトリアの彩文土器の編年を考える上で極めて重要な資料ではないかと考えています。つまり、カマン・カレホユックの前期青銅器時代の発掘調査で層序で取り上げられた彩文土器を観察するかぎり、これまで論じられてきている中央アナトリアの前期青銅器時代の彩文土器の編年に一石を投じることができると考えています。

写真7:青銅製品[クリックで拡大]

写真7:青銅製品[クリックで拡大]

写真8:スタンプ印章[クリックで拡大]

写真8:スタンプ印章[クリックで拡大]

写真9:彩文土器[クリックで拡大]

写真9:彩文土器[クリックで拡大]

写真10:彩文土器[クリックで拡大]

写真10:彩文土器[クリックで拡大]

南区の建築遺構

南区の建築遺構は、第IIc層の中期鉄器時代の収蔵庫の取り外しと第IIIa層のヒッタイト帝国時代の大形建築遺構の発掘調査を行ないました。

写真11:第IIc層の収蔵庫[クリックで拡大]

写真11:第IIc層の収蔵庫[クリックで拡大]

第IIc層の収蔵庫(写真11)は、石組みから出来ており、以前の調査で10メートル×10メートル、深さ1.5メートルとかなり大きな遺構として確認されていたものです。

写真12:第IIIa層 石組みの収蔵庫[クリックで拡大]

写真12:第IIIa層 石組みの収蔵庫[クリックで拡大]

それの取り外しをしたところ、その直下から第IIIa層に年代付けられる石組みの収蔵庫を確認することが出来ました(写真12)。

その収蔵庫の西側で検出されている第IIIa層の建築遺構は、ここ数年調査を継続して行なってきており、鉄器時代の第IIc層、第IId層のピットによってかなりの破壊を受けています。まだ、完全に掘り切った形ではないにも関わらず建築プランを十分に読み取れるだけの情報を得ることができました(写真13)(図4)。

写真13:第IIIa層の建築遺構[クリックで拡大]

写真13:第IIIa層の建築遺構[クリックで拡大]

図4:第IIIa層の建築遺構[クリックで拡大]

図4:第IIIa層の建築遺構[クリックで拡大]

南区の出土遺物

南区の発掘調査で出土した主な遺物は、鉄器時代の紡錘車(写真14)、青銅製品(写真15)、印影(写真16)、土器(写真17)等です。特に印影は、現在解読中ですが、ヒッタイト帝国時代に年代付けられるものが含まれています。

写真14:紡錘車[クリックで拡大]

写真14:紡錘車[クリックで拡大]

写真15:青銅製品[クリックで拡大]

写真15:青銅製品[クリックで拡大]

写真16:印影[クリックで拡大]

写真16:印影[クリックで拡大]

写真17:土器[クリックで拡大]

写真17:土器[クリックで拡大]

遺構の保存

発掘調査終了後、北区の出土した遺構の保存のために保護屋根をかけました。また、南区ではジオテックスを使い遺構の保護を行ないました(写真18)。これまでも遺構保存には色々と対策を採ってきていますが、現地で調達が容易にできる資材で行なうのが最良と考えています(写真19)。

写真18:南区[クリックで拡大]

写真18:南区[クリックで拡大]

写真19:保護屋根掛け作業[クリックで拡大]

写真19:保護屋根掛け作業[クリックで拡大]

謝辞

第33次カマン・カレホユック発掘調査は、出光文化福祉財団、JKA、住友財団からの助成によって進めることが出来ました。誌上を借りて厚くお礼を申し上げます。



第33次カマン・カレホユック発掘調査(2018年)開始

カマン・カレホユック2018年

クリーニング作業

第33次カマン・カレホユック遺跡の発掘調査を、7月16日(月)に開始しました。アナトリア文明博物館の学芸員であるニメット・バルさんが文化・観光省から査察官として派遣されてきました。北区では「文化編年」の構築、南区ではヒッタイト帝国時代の建築遺構に焦点を合わせて調査を行います。今週は両発掘区でクリーニングを中心に作業を行い、来週から本格的な発掘調査に入る予定です。(2018年7月20日)(大村幸弘)

カマン・カレホユック2018年

クリーニング作業

カマン・カレホユック2018年

クリーニング作業

カマン・カレホユック2018年

クリーニング作業