カマン・カレホユック

大村 幸弘 アナトリア考古学研究所長

第27次カマン・カレホユック発掘調査終了

カマン・カレホユック遺跡

カマン・カレホユック2012年

写真1:カマン・カレホユック遺跡

トルコ共和国の南東100キロ、アンカラ-カイセリの旧街道側に位置しています。形態は台形状をしており、径およそ280メートル、高さ16メートル、アナトリアでは中規模の遺跡です(写真1)。1985年に予備調査を行い、約24万点の土器片、鉄滓、土製品などを採集しました。それらの中から10%の土器片等を分類した結果、カマン・カレホユック遺跡には約5500年の文化が包含されていることが明らかとなりました。

1986年に本格的に発掘調査を開始し現在に至っています。この遺跡の発掘調査の主目的は『文化編年の構築』です。換言しますとこの作業はカマン・カレホユックの『年表』を作成することです。『文化編年』、それに伴って出来上がってくる『年表』は、歴史学、考古学の基本中の基本と考えています。

カマン・カレホユック2012年

図1:模式図

これまでの発掘調査で、4文化層を確認しています。検出された文化層は、第I層−オスマン・トルコ時代、第II層−鉄器時代、第III層−中期・後期青銅器時代、第IV層−前期青銅器時代です。出土遺物、建築形態等により、第I層は、第Ia層、第Ib層、第II層は、第IIa層、第IIb層、第IIc層、第IId層、第III層は、第IIIa層、第IIIb層、第IV層は、第IVa層、そして第IVb層に分類されます。今後の発掘調査で第V層として銅石器時代、第VI層として新石器時代が確認されてくるものと思います(図1)。

第27次カマン・カレホユック発掘調査経過

カマン・カレホユック2012年

写真2:カマン・カレホユック遺跡

第27次カマン・カレホユック発掘調査は、6月下旬に発掘準備を開始し、7月初旬から本格的発掘調査に入り、9月初旬に無事終了しました。先日、気球に搭載したデジタルカメラで撮影しました(写真2)。発掘した建築遺構を保護するための仮設屋根をかける作業も12月2日に終わりました。

文化・観光省の考古局は、今シーズンの査察官としてクルシェヒル考古学博物館のスレイマン・トゥンチュ学芸員を派遣してくれました。クルシェヒル考古学博物館はカマン・カレホユック遺跡も近いと言うことで、スレイマンさんもカマンにこれまで何度も訪ねてきていたこともあり、キャンプに入った日には調査隊に容易に溶けくれたことは何よりでした。6月24日に労働者の採用を開始、予想を大きく上回る希望者が集まったのには嬉しい悲鳴でした。

カマン・カレホユック2012年

写真3:北区保護屋根外し

6月25日から7月初旬にかけて昨年の発掘調査後に架けた保護屋根の取り外しを行いました。最初に南区の保護屋根を外し、早速発掘区内のクリーニングを開始しました。南区の保護屋根外しが終わったところで、7月2日には北区の保護屋根外しに取り掛かりました(写真3)。今シーズンは、発掘を行う北区の中でもIV〜IX区の保護屋根を中心に取り外しました。ただ、この部分だけを取り外すのは技術的に無理で両サイドにあるXV〜XX区の保護屋根も取り外ずさるを得ませんでした。

カマン・カレホユック2012年

写真4:考古学フィールドコース

カマン・カレホユック2012年

写真5:博物館学フィールドコース

昨年確認した両発掘区の建築遺構は、保護屋根を架けていたこともありほぼ発掘終了時とほぼ同じ状態であったことは何よりでした。発掘調査と平行して考古学フィールドコース(写真4)、博物館学フィールドコース(写真5)を行いました。

北区の建築遺構

カマン・カレホユック2012年

写真6:北区

北区では既述しましたように、V〜IX区までで発掘調査を行いました(写真6)。今シーズンの北区の発掘調査の目的は、第IVa層の中間期と第IVb層の前期青銅器時代に焦点を合わせました。これらの発掘区では、第IIIc層の南北に走るアッシリア商業植民地時代の建築遺構がすでに確認されており、一昨年度、昨年度の調査等、ここ数年は第IIIc層の建築遺構の取り外しに集中していました(写真7)。今シーズンも一部では第IIIc層のアッシリア商業植民地時代の建築遺構の取り外しを行いましたが、V〜VI区では明らかに第IVa層の中間期の建築遺構を確認することができました。

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写真7:北区

第IVa層の出土遺物の特徴は、明らかに土器に現われます。この中間期の土器は轆轤製のもの(写真8)と手づくね製のもの(写真9)が共存することです。手づくね製の土器は、第IVb層の前期青銅器時代から継承されているものと考えられますし、轆轤製のものは第IVa層の段階で出現してきます。轆轤製の土器は、第IIIc層、アッシリア商業植民地時代に継承されておりますし、その傾向は第IIIb層のヒッタイト古王国時代の文化層にも見ることができます。そして手づく製の土器は極端に減少します。

カマン・カレホユック2012年

写真8:土器(轆轤製)

カマン・カレホユック2012年

写真9:土器(手づくね製)

V〜VI区にかけて東セクション側で南北に延びる形の第IIIc層の建築遺構は、数度の建て替えが行われたことはこれまでの発掘調査で明らかになっていました。このアッシリア商業植民地時代の建築遺構の特徴は、掘り込み式になっていることです。掘り込み式と言うことは、掘り込まれた場所は少なくともアッシリア商業植民地時代かそれ以前の層でなければなりません。今シーズンは、残存していた第IIIc層の建築遺構の一部を取り外しながらそれによって掘り込まれた遺構を確認しました。確認された遺構は床面のみですが、火災を受けておりその上からは炭化物、更には数多くの土器片が見つかっています。土器片の中には前期青銅器時代末の特徴を持つものもありました。ただ、この焼けた床面に属する安定したプランを示すだけの建築遺構を確認することは出来ませんでした。

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写真10:北区 V区

V区の発掘調査でも、東西に走る第IIIc層の石壁の取り外しを行いました。この石壁とV〜VIII区にかけて確認されている南北に走る細長い石壁作りの建築遺構との間には数度に渡って小石、土器片等による舗装が施されていました。その舗装路は東西に走る石壁に沿って敷かれておりかなり長期間に渡って使用されていたものと思います。その東西の石壁を取り外したところで、鉄資料が検出されています。これに関しましては日本で分析中です。南北に走る石壁の外の部分の掘り下げを今シーズンは集中的に行いましたが、VI区と同様南北に走る建築遺構の外の生活面直下から新たに石組みの建築遺構が確認されました(写真10)。この建築遺構のプランを明らかにすることを目的として掘り下げを行いましたが、一部で床面を確認したものの全体像を把握することは出来ませんでした。ただ、建築遺構の石組み、土器等の出土遺物等からそれまで調査を進めてきた第IIIc層のものとはかなりの相違が認められました。この建築遺構は、層序的にはIV区の第IVa層の建築遺構に結び付く可能性もあります。つまり今シーズン確認したV区の建築遺構は、第IVa層-中間期の可能性が高いのではないかと考えていますが、さらに出土遺物を詳細に分類するとともに来シーズンは東セクションの観察を行いたいと考えております。

カマン・カレホユック2012年

写真11:紡錘車

北区の出土遺物

北区で出土した遺物の多くは土器、青銅製品、鉄資料が中心です。土器の中には彩文が施されたものもあります。その多くは破片ですが、前期青銅器時代末から中期青銅器時代の初頭にかけて中央アナトリア、特にクズルウルマック川に囲まれた地域で数多く確認されているアリシャル第III様式土器、中間期土器です。また、特に今回注目すべき遺物としては鉄資料があげられます。鉄塊、鉄滓等です。何れも既述しましたようにトルコの文化・観光省の許可を取りまして日本に持ち帰って来ております。現在、分析中ですのでその結果が出次第報告させて頂きたいと思います。それらの他に土製の紡錘車、青銅製ピン等が出土しています(写真11)。

南区の建築遺構

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写真12:南区

南区の発掘調査は、既述しましたように7月初旬から開始しました(写真12)。保護屋根を取り外したと同時に発掘を開始しましたが、南区では第I層のオスマン・トルコ時代、第II層の鉄器時代の調査を行いました。

第I層の発掘調査は以前に確認していた井戸址を想起させるもので、覆土中からは土器片に混じって陶磁器片、鉄滓等が出土しています。ただ、この遺構が果たして井戸址なのか否かに関しましてはもう少し遺構を精査する必要がありそうです。

カマン・カレホユック2012年

写真13:南区 収蔵庫址

第II層に関しましては、鉄器時代の第IIa層、第IIc層、そして第IId層の3層に焦点を合わせて調査を行いました。

第IIa層では、第I層のオスマン・トルコ時代の井戸址を構築する際に破壊したと考えられる建築遺構の調査を行いました。今シーズン確認した第IIa層の建築遺構の多くは、石壁等です。ただ、何れも明確なプランを示すだけのものではありませんでした。それと石壁に附属する床面も見つかってはおりますが、何れもそれらの保存状態は良好と言えるものではありませんでした。

カマン・カレホユック2012年

写真14:印章

第IIc層では、約10mx10m、深さ約2mを超す石壁作りの収蔵庫址を確認することが出来ました(写真13)。第IIc層に年代付けられると考えた背景には、収蔵庫址内から出土した彩文土器を一つの手掛かりとしています。この収蔵庫址の東側にも以前同形の収蔵庫址が確認されております。この二つの収蔵庫址にはどのぐらいの穀物を入れることが出来たかは今後の研究を待つ以外ありませんが、ヒッタイト時代の円形の収蔵庫がおよそ3千人分の穀物を収納出来たとする数字が出ておりますので、それから行きますと南区の収蔵庫は少なくとも2千人分の食料は確保出来たのではないかと考えています。

第IId層の建築遺構は、度重なる火災の度に家屋を何度も作り替えていることが明らかとなりました。北区でも第IId層の建築遺構は検出されていますが、南区ほど何度も作り替えられていません。これから考えますと第IId層の時期には、集落の中心が北区以上に南区、つまり遺丘の南部分にあったことを物語っています。他の時代に較べて第IId層のどの建築層でも火災の痕跡が認められます。これが一体どのような意味を持つのか等は今後の研究を待つ以外ありません。

カマン・カレホユック2012年

写真15:フィブラ

南区の出土遺物

南区の発掘調査では、土器、青銅製品、鉄製品、装身具類、印章等が出土しています(写真14)。その中でも鹿の文様が施された鉄器時代の彩文土器片が第IIc層から多く出土しました。また、青銅製品としては第IIa層に年代付けられるフィブラが出土しています(写真15)。第IIa層から鉄滓が大量に確認されましたが、おそらくその近郊には鉄を製作するアトリエがあったのではないかと思います。

第27次カマン・カレホユック発掘調査のまとめとして

今シーズンの北区の発掘調査で、第IVa層に入り始めたことは一つの大きな収穫だったのではないかと思います。と言いますのは、この第IVa層は前3千年紀末から前2千年紀初頭に年代付けられる時代であり、印欧語族のヒッタイトが中央アナトリアへ入り込み、アッシリア商業植民地時代の文化と接触をした時代と考えるのが通説です。しかし、第IVa層出土の遺物中に印欧語族を確認出来るかとなると極めて大きな問題で、これの解明にはIII〜VI区までの発掘区を更には掘り下げ、建築層別に出土遺物の分類、精査が必要ではないかと考えております。第IVb層は、III区で確認されておりますので、その建築層から出土している遺物、特に土器とIV区、更には今シーズン確認したV区の土器とを比較考察したことにより、第IVa層と第IVb層との差異を明らかにする作業が必要になってくるかと思います。 これらの作業を2012年末から2013年の3月まで行う予定です。

謝辞

カマン・カレホユックの発掘調査は、これまで多くの団体から研究助成金、補助金の交付を受けて継続しております。ここに改めて、感謝申し上げます。2012年度に助成頂いた団体は以下の通りです。



第27次カマン・カレホユック発掘調査(2012年)途中経過

7月初旬に開始しました第27次カマン・カレホユック発掘調査は順調に進んでおります。7月下旬から8月初旬にかけて中央アナトリアも猛暑に見舞われましたが隊員の中で誰一人として体調を崩した者もありませんでした。

カマン・カレホユック2012年

写真1:北区

カマン・カレホユック2012年

写真2:北区

現在、発掘調査は北区と南区の2発掘区で行っております。北区では、V〜VIII区で掘り下げを行っています。これらの発掘区では、南北に走っているアッシリア商業植民地時代に年代付けられる大型で堅固な石造りの建築遺構、そしてそれに附属する土器片、小石等によって何度か舗装されている東西、南北に走る小路も確認されています。ここ数年の発掘調査では、この南北に走っている建築遺構の取り外しを行っておりましたが、今シーズンはそれらの建築遺構の外の生活面を掘り外し、下層へと向って掘り下げているところです。出土する土器片の中には数多くの手づくね製の土器が見つかってきており、これらの発掘区も前期青銅器時代に徐々に入りつつあることを物語っているようです。

カマン・カレホユック2012年

写真3:南区

カマン・カレホユック2012年

写真4:南区

カマン・カレホユック2012年

写真5:南区

また、南区では第IIc層の穀物庫と推測される石壁造りの矩形の大型建築遺構を発掘中です。遺構内からは様式化された鹿の文様を持つアリシャル第IV式土器が確認されています。この第IIc層の建築遺構の直下からは第IId層、つまり暗黒時代の建築遺構が数多く検出されています。その多くは火災を受けているのが一つの特徴であり、その火災層を追う形で調査は進められています。

これまで北区からは、アッシリア商業植民地時代の印影、土器、鉄資料等数多くの資料が出土しています。また、南区からは鉄器時代の青銅製ベルトをはじめとして土器、ガラスビーズ、青銅製ピン等が見つかってきております。発掘調査はこれから佳境に入るところです。



第27次カマン・カレホユック発掘調査(2012年)開始

保護屋根取り外し作業

保護屋根取り外し作業

第27次カマン・カレホユック発掘調査(2012年)は、6月25日(月)から昨年遺構保存のために架けた保護屋根の取り外しを始めました。遺構保存用の保護屋根により、昨年検出した建築遺構等の保存状態は極めて良好に保たれていたのには一安心しました。断面は一部に崩落も見られましたが、全体的には問題はありませんでした。保護屋根を取り外した後、7月5日から発掘区のクリーニングを開始しました。

保護屋根取り外し作業

保護屋根取り外し作業

文化・観光省は、査察官としてクルシェヒル考古学博物館のスレイマン・トゥンチュ学芸員を派遣、査察官がキャンプに入ってきたと同時に本格的な発掘調査に入りました。今シーズンも、北区では『文化編年』の構築作業を行うことになっています。特に、前2千年紀の第一四半期、第IIIc層のアッシリア商業植民地時代、前3千年紀末から前2千年初頭にかけての第IVa層を中心に発掘を行う予定です。また、南区では、前9世紀末から前8世紀の第IIc層とその直下に位置する第IId層の調査を行う予定です。

クリーニング作業

クリーニング作業

尚、発掘区の保護屋根を架けることに関しては、住友財団からの助成によって行っております。