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カマン・カレホユック
大村 幸弘 アナトリア考古学研究所長
第25次カマン・カレホユック発掘調査(2010年)
調査目的
第25次カマン・カレホユック発掘調査は7月19日に開始し、9月7日に終了しました。9月6日には博物館の展示に叶う51点の出土遺物を新たに開館したカマン・カレホユック考古学博物館へ収めました。査察官として派遣されていたフアット・オズチャタル氏(エスキシェヒル考古学博物館学芸員)は7日の午後キャンプを離れ、約二ヶ月に渡って行なわれたカマン・カレホユック発掘調査の現場での作業は完了しました。
今シーズンの調査目的は例年通り二つありました。一つは北区では『文化編年』の構築です。これまで北区の36発掘区で調査を行い4文化層を確認しています。今シーズンは前期青銅器時代、後述する中間期の文化層に入る直前、つまりIIIc層、アッシリア商業植民地時代の最下層と推測される層位の調査を行いました。また、南区では北区で確認した文化を広範囲の発掘区で調査を行うことにより各文化の集落形態を把握することを目的としていますが、今シーズンはIId層−初期鉄器時代の集落形態に焦点を合わせ発掘調査を行いました。
写真1:今年度発掘終了時の北区.
カマン・カレホユック北西側から
北区の遺構
北区では前2千年紀の第一四半期にあたるIIIc層、つまりアッシリア商業植民地時代からIVa層の中間期にかけての文化層の掘り下げを行ないました。中間期は前期青銅器時代と中期青銅器時代の間を指す時期で前3千年期末から前2千年紀初頭に年代付けられます。
北区の発掘調査はV〜VII区の最深部を掘り下げる形で進めました(写1,2)。V区ではこれまでアッシリア商業植民地時代の3mを優に超す東西に走る石壁が検出されています。この石壁の南側ではIVa層の文化層が検出されていますし、この石壁がIVa層を大きく削って構築されたことも発掘区の両サイドの断面からも読み取ることが出来ます。この石壁は1990年代の半ばに確認されていたものですが、上部構造にあった日干し煉瓦は火災によって北側に崩落していました。その崩落した日干し煉瓦を含む火災層を取り外すとその下からは多くの土器片、小石で舗装した道が見つかっています。この3mを超す高さの東西に走る石壁と土器片、小石敷きの舗装路と直交する形で北側に南北に走る堅固な石組みの建築遺構がV〜VII区でこれまで確認されています。この建築遺構に沿った形でここでも土器片、小石等で舗装された南北に走る1m幅の道が見つかっています。
写真2:北区の作業風景
今シーズンはその南北に走るIIIc層の建築遺構の取り外しを行なうと同時に舗装路の西側部分の精査を行ないました。路の西側部分はピット群に覆われておりそれらを一つ一つ丁寧に掘り下げを行ないましたが、V〜VI区で明確な建築遺構等を確認することは出来ませんでした。V区で出土した土器片には手づくね製のものが含まれておりIVa層へ近づいていることを示唆していると考えています。VI区ではピット群を調査している際に保存状態の不良な建築遺構の一部を確認しました。短い石壁と僅かな床ですが、床面上からは金製品が確認されています。金製品の側から出土している他の遺物から考えるとこの場所はおそらく工房であった可能性が高いと考えられます。また、VII区ではV〜VI区で出土している南北に走る建築遺構の一部を取り外す作業を行いました。それと同時にVII区の北端で確認されていたIIIb層、つまりヒッタイト古王国時代の建築遺構の取り外しを行ないました。このヒッタイト古王国時代の建築遺構は既述している南北に走るIIIc層のアッシリア商業植民地時代の建築遺構を取り壊して構築されたことが西断面からも読み取ることができます。
南区の遺構
写真3:今年度発掘終了時の南区.
カマン・カレホユック北西側から
南区では例年通り鉄器時代の文化層を中心に調査を進めました。今シーズンはIId層、つまり前12〜9世紀のこれまでアナトリア考古学で『暗黒時代』と呼ばれていた文化層の発掘を行いました(写3,4)。今回の調査で大凡見えてきたのはIId層には南区で少なくとも4建築層以上存在すること、それらの何れも火災を受けていること、何れのIId層の建築遺構内からも柱穴が確認されていること、建築遺構のコーナーが丸みを帯びていることなどが明らかとなりました。また、IId層直上からはIIc層の建築遺構も確認されていますが、IIc層の文化はIId層の文化を背景にして形成されたことはほぼ間違いないと考えています。
写真4:南区の作業風景
南区のLI区ではIId層に属すピット群が確認されていますが、ピットの床面直下からは火災層が確認されました。この火災層は出土遺物から北区の0、XII、XXVII、XXVIII、XXX区等で確認されているIIIc層、アッシリア商業植民地時代の大火災層の一部の可能性が高いと言えます。このIId層のピット群を取り外した段階で次に前2千年紀の文化層が検出されるのではないかと考えています。
出土遺物
北区、南区の発掘調査で数多くの遺物が出土しました。北区ではIIIc層-アッシリア商業植民地時代の金製品、スタンプ印章、針、ピン、錐等の青銅製品、紡錘車、土器が確認されています。IIIc層には帰属しない刻文土器片が数点出土していますが、これらは前4千年紀の銅石器時代に年代付けられる可能性があります。また、南区ではIId層の彩文土器をはじめ建築遺構の床面から鉄製品が出土しています。IId層の直上に位置するIIc層からは動物文様を施した彩文土器が確認されています。これらの他にも南区からは青銅製ピン、無文土器、紡錘車、釦型ガラス等が見つかっていますが、LI区からは前2千年紀前半の土器片が数多く出土しています。
謝辞
カマン・カレホユックの発掘調査は、これまで多くの助成団体から研究助成金、補助金の交付を受けて継続しております。ここに改めて、感謝申し上げます。2010年度に助成頂いた団体は以下の通りです。
第25次カマン・カレホユック発掘調査途中経過
7月19日に開始した第25次カマン・カレホユック発掘調査は順調に進んでいます。8月初旬から中旬にかけて中央アナトリアも猛暑に見舞われましたが、その暑さにも負けることなく調査は淡々と進んでいます。
北区では『文化編年の構築』を目的としていますが、北区のV、VI、VII区の発掘区でIIIc層−アッシリア商業植民地時代からIVa層-中間期にかけての文化層を盛んに掘り下げているところです。IV層は、前3千年紀、つまり前期青銅器時代ですが、これまでのアナトリア考古学の発掘調査の中で前3千年紀を上層から下層にかけて掘り下げた例は少なく、特に中央アナトリアでは未だ『未解明の時代』と言っても過言ではありません。これまでの発掘で土器、青銅製品が数多く出土しています。また、南区では鉄器時代のIIc層−前8世紀、IId層-前11〜9世紀の文化層の調査を行っています。特にIId層はこれまで『暗黒時代』と呼ばれていた時期ですので慎重に調査を進めているところです。このIId層からは多くの彩文土器片が出土しています。出土したIId層の建築遺構の何れもが強い火災を受けて終わっているのが一つの特徴で家屋の上部構造から火災によって崩落したと思われる炭化した大量の梁が確認され、床面からは他の時代には見られない柱穴が幾つも確認されています。このIId層の文化が上層にあたるIIc層の文化にどのような影響を与えたかを今シーズンは考察したいと思います。
第25次カマン・カレホユック発掘調査(2010年)が開始されました
第25次カマン・カレホユック発掘調査は、7月19日(月)に開始されました。今シーズンの調査目的の第一は、北区における前期青銅器時代の文化層を掘り下げること、第二は、 南区において初期鉄器時代の文化層の調査を進めることです。 中央アナトリアでは、紀元前2千年紀初頭にメソポタミアから楔形文字がもたらされる以前は、文字のない先史時代とされていますが、 多くの未解決の問題が残されています。アナトリア考古学の第二の『暗黒時代』と言うことができます。北区では、この前期青銅器時代に焦点を合わせて調査を行います。 南区では、昨年に続き、第IId層、紀元前10〜9世紀前後の従来『暗黒時代』と呼ばれていた文化層を中心に発掘を行う予定です。
19、20日は発掘区のクリーニング、21日から本格的な発掘作業に入りました。文化・観光省から査察官としてフアット・オズチャタル氏(エスキシェヒル考古学博物館学芸員)が派遣されています。