お知らせ(2010年度掲載分)
■アナトリア考古学研究所近況報告 (19/Feb./2011)
2月に入り中央アナトリアにも春の足音が聴こえてきました。地中海沿岸はすでに春とのこと、タウルス山脈を越して中央アナトリアへ穏やかな柔らかい海の風が走り出すのももうじきかと思います。アナトリア考古学研究所では、現在、昨年度行ったカマン・カレホユック、ヤッスホユック、ビュクリュカレ3遺跡から出土した遺物の整理、実測、建築遺構、断面図の整理を盛んに行なっているところです。作業には、発掘調査の際にウスタ(親方)として働いてくれているトルコ人のスタッフ7名が従事しています。土器の実測、パソコンへの入力等は彼らが中心となって作業を行っており、現在カマン・カレホユック遺跡で最も大きな問題点の一つとなっているヒッタイト古王国時代とアッシリア商業植民地時代との境目が一体何処にあるのかを出土遺物と北区の断面図を使いながら検討しているところです。その結果は3月26日(土)の2010年度トルコ調査報告会でも発表を行いたいと思っております。(大村幸弘記)
■三笠宮記念庭園はもう少しで春を迎えます (13/Feb./2011)
1993年に一般公開された三笠宮記念庭園は、まだ一部雪が残っていますがもう少しで春を迎えるところです。1月にはかなりの雪に覆われていましたが、その雪も2月に入って大分解け庭園のいたるところに青々とした芝生が見え始めています。庭園内の木々の幹にも瑞々しさが出てきており春の近いことを教えてくれています。昨年、日本からやって来た庭園内の池の錦鯉も元気そのものです。昨年の7月10日にカマン・カレホユック考古学博物館が開館したこともあり、三笠宮記念庭園への訪問客も例年になく多くなっています。4月下旬にはソメイヨシノが開花するものと思います。
■トルコ共和国文化観光省より大村所長へ功労賞が贈られました (11/Feb./2011)
2011年2月9日、アプトゥラ・ギュル大統領ご臨席のもと行われた文化大賞授賞式に際して、大村幸弘アナトリア考古学研究所長へ、エルトゥル・ギュナイ文化観光大臣より功労賞が贈られました。
これは2010年7月10日に開館したカマン・カレホユック考古学博物館の建設、展示への協力を始めとし、長年に渉るトルコ考古学への貢献に対して贈られたものです。
■カマン・カレホユック遺跡他保護屋根架設作業完了 (24/Jan./2011)
2010年度、アナトリア考古学研究所が行った第25次カマン・カレホユック発掘調査、第2次ヤッスホユック発掘調査、第2次ビュクリュカレ発掘調査は無事終了しました。
昨年11月後半からはカマン・カレホユック遺跡の北区、南区の発掘区に保護屋根を架ける作業を開始、12月半ばに完了。架け終わった後、撮影に適した日を待っていましたが、12月後半から1月にかけて秋口のように空気の澄んでいることが少なくなかなか撮影する機会に恵まれませんでしたが、1月18日にやっと撮影を行う事が出来ました。この保護屋根がない事には、冬期間に降る雨、雪で出土した建築遺構、そして多くの研究者が研究資料として使用している発掘区の断面などが見る影もなくなるほど破損してしまうことになります。これは第26次発掘調査が始まる6月下旬前には取り外すことになっています。
尚、このカマン・カレホユック遺跡保護屋根の架設には全面的に『住友財団』の『海外の文化財維持・修復事業』の助成を受けています。
カマン・カレホユック遺跡(2010)
■カンガル犬がアナトリア考古学研究所へ来ました (09/Dec./2010)
トルコのスィヴァス県、カンガル郡が原産とされ牧羊犬として使われているカンガル犬が、アナトリア考古学研究所に番犬として入ってきました。今年の初春よりビュクリュカレ遺跡で飼育されていましたが、今シーズンのビュクリュカレ遺跡の発掘調査が終わったところでカマンの研究所へ連れてきました。オスマン帝国時代に高官の称号として使われていたパシャと言う愛称で呼ばれています。生後6ヶ月ですが立ち上がると人の背丈程あります。
■気球に搭載したカメラでカマン・カレホユック、ヤッスホユック遺跡を撮影 (29/Oct./2010)
第25次カマン・カレホユック発掘調査、第2次ヤッスホユック発掘調査終了後、ヘリウムガスを気球に充填し、デジタルカメラを搭載して、約500メートル上空から遺跡を撮影しました。空撮によって地上では確認出来ない城塞等のライン等を実に見事に撮ることができました。この空撮が終わることによってフィールドでの作業は終わりとなります。残っている作業としては、発掘区を保護するための屋根掛けがあります。
■三笠宮記念庭園ボランティア募集のお知らせ (28/Oct./2010)
中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所には、1993年9月にオープンした三笠宮記念庭園(日本庭園)があり、年間3万人を超すトルコ、日本、欧 米の来園者で賑わっています。この庭園は1990年に工事を開始、日本からモミジ、ソメイヨシノ、トルコ国内から百種類以上の樹木を運び約4年をかけて完成したものです。4月下旬にはソメイヨシノが満開、10月下旬から11月初旬にかけてカエデ、モミジなどが紅葉し地元の人々、観光客を多いに楽しませています。 三笠宮記念庭園はアナトリア考古学研究所が維持管理をしておりますが、これまでも樹木の剪定だけはその道の方々にお願いして参りました。来シーズン、5月から10月にかけて2週間ぐらいの単位で剪定作業をして下さるボランティアを募集しております。ご興味のある方は是非下記までご連絡下さい。お待ちしております。
期間:2011年5月〜10月までの2週間〜1ヶ月ほど(応相談)
募集人数:若干名
募集期限:2010年12月5日(日)
問い合わせ先:アナトリア考古学研究所 電話:0422-32-7665(※10:00〜17:00/月木休日)
■2010年11月8日講演会のお知らせ (26/Oct./2010)
所長の大村幸弘が上智大学アジア文化研究所で講演会を行います。
日時:2010年11月8日(月)18:30〜20:00
テーマ:『何故、今トルコで考古学の発掘調査を行うのか-文化財保存と考古学博物館-』
場所:上智大学四谷キャンパス
▼詳細は下記をご覧下さい
上智大学アジア文化研究所
■トヨタ自動車からトヨタハイエースが寄贈されました (24/Oct./2010)
トヨタ自動車からアナトリア考古学研究所へトヨタハイエースが寄贈されました。10月22日、車はアンカラからヤッスホユック遺跡の発掘現場に到着し早速発掘現場で利用させて頂いています。ヤッスホユック遺跡の発掘調査、そしてこれから後半の発掘調査を行うことになっているビュクリュカレ遺跡で大いに活躍してくれるものと思います。
■三笠宮記念庭園の紅葉情報 (19/Oct./2010)
1993年に開園した三笠宮記念庭園は連日多くの訪問者で賑わっています。特に、7月10日に庭園の北側にカマン・カレホユック考古学博物館が開館したことや開館前に日本から寄贈された錦鯉(錦鯉愛好会プロジェクトKOIチーム(会長高江洲義滋 協賛/東海地区・関東地区錦鯉振興会、クレイマー社、郵船航空サービス株式会社 錦鯉提供生産者/一品家、クラウンフィッシュ、錦鯉新潟ダイレクト)が庭園の池に放されたことなどが多くの人々を惹き付けているようです。この庭園には1990年に70種を超す苗木が日本から送られてきましたが、モミジとソメイヨシノが上手く根付いた以外は寒暖の差の激しさから枯れてしまいました。中央アナトリアは十月に入ったと同時に一気に気温が下がり始めましたが、それに平行するかのように三笠宮記念庭園の木々も紅葉し始めました。特に、日本からのモミジ、ソメイヨシノは見事に色づき始め訪問者の目を楽しませてくれています。
■ビュクリュカレ遺跡からヒッタイト帝国時代の外交文書出土 (26/Sep./2010)
ビュクリュカレ遺跡
この遺跡はトルコ共和国の首都アンカラの南東約70キロ、クルックカレ県、カラケチリ郡、カラケチリ町に位置しています。カマン・カレホユック遺跡から西に約40キロ、トルコ最長のクズルウルマック川の最も狭まった地点にあります。遺跡は城壁に囲まれており、東西約500メートル、南北約650メートルの規模です。1991年、2006年に一般調査を行い、2008年に地中探査を主体とする予備調査、2009年に第一次発掘調査、さらに2010年に第二次発掘調査を行いました(調査隊長松村公仁、アナトリア考古学研究所研究員)。発掘調査では一般調査、予備調査の結果通りヒッタイト帝国時代の城塞、大火災層が確認されました。特に城塞は巨石を使いながら構築したもので約6.6メートルまで掘り下げています。この城塞は前14〜12世紀の帝国時代に年代付けられますが、この城塞の外側を発掘中に帝国時代の粘土板が確認されました。粘土板は城塞内から外に廃棄された土の中から出土しました。おそらくヒッタイト帝国時代の建築遺構が火災で崩落、それが地均しされる際に城内にあった粘土板がかき出された可能性があります。
写真1:粘土板
粘土板
この粘土板は高さ8.1センチ、最大幅5.4センチ、厚さ2.2センチの破片です。楔形文字で21行刻まれています(写真1)。ロンドン大学のマーク・ウェーデンDr.によって解読作業が進められていますが、これまでに次のような点が指摘されています。
1 ヒッタイト語で書かれた書簡であり、使用されている楔形文字の字体から中期ヒッタイト時代、前14世紀に年代付けられる粘土板である。
2 元々のサイズは約9.5 × 6.2 × 2.2センチと推測できる。この大きさは当時の書簡文書の一般的大きさである。
3 『貴方の国』という単語が粘土板には記されているが、これは国家間でやりとした文書であり、王から王に宛てた書簡である。
4 文面が威圧的であることからより大きな国から小さな国に対して送られてきた書簡である。おそらくヒッタイトの王から他の国の王へ送られた書簡であると言える。
5 ヒッタイトの使者が他の国に捉えられておりヒッタイトもその国の使者を抑留しており、その使者を返還する様に要求している。つまり、書簡はその当時敵対関係にあった国へ送られたものと言える。
粘土板の持つ意味と今後の調査
この類いの粘土板、つまり国家間の書簡が出土する遺跡は帝国時代の主要都市の一つと考えることができます。また、ビュクリュカレ遺跡がヒッタイト帝国の本拠地と言われているクズルウルマック川に囲まれた地域外に位置していることも興味深い点です。つまり、南下政策と同様ヒッタイト帝国は西アナトリアへの遠征も繰り返しています。このことはボアズキョイ文書からも読み取りことは出来ますがクズルウルマック川の西側、つまり西アナトリアにおける帝国の動きは未だに未解明のままになっています。ビュクリュカレ文書を一つの手掛かりとして帝国の本拠地と西アナトリアの関係がより明確になってくるのではないかと考えています。
10月末に短期間ですが再発掘を行なう予定です。再び粘土板出土と同時に帝国時代の主要な建築遺構の一部の確認が出来るのではないかと期待しています。
■ボアズキョイ、アラジャホユック遺跡研修 (26/Sep./2010)
アナトリア考古学研究所は、9月18日(土)、カマン・カレホユック、ヤッスホユック、ビュクリュカレ遺跡発掘調査に参加している調査隊員、発掘作業を手伝ってくれているチャウルカン村の作業員50名とともにボアズキョイ、アラジャホユックの研修旅行を行いました。6時半に全員が研究所に集まりバスでヨズガットから北上してボアズキョイへ入りました。ここではヒッタイト帝国時代の神殿、獅子門、突撃門、王門、宮殿址などを見学した後、帝国時代末期の葬祭殿と言われるヤズルカヤ、帝国時代の都市アラジャホユック(古代名アリンナ)を訪ねました。特に今回の研修ではドイツ、トルコの調査隊が行なっている発掘現場を遠方から見学することが出来たのが何よりでした。研究所の発掘作業を手伝っている村の作業員にとっては初めての研修旅行でしたので大いに勉強になったのではないかと思います。
■今年度の磁気探査が行われました (30/Aug./2010)
磁気探査による調査は、8月16日~8月23日までの8日間、カマン・カレホユック遺跡で熊谷和博と東京理科大の五月女祐亮によって行なわれました。今シーズンは遺跡南東斜面、頂上平坦部の北西部分、そして鉄器時代の城塞部分で探査が行なわれ好結果を得ることが出来ました。特に城塞部分では一定間隔で望楼を想起させる遺構等が確認されました。昨シーズンはビュクリュカレ遺跡でもヒッタイト帝国時代の城塞、城門等を同じ方法で確認しており今シーズンのビュクリュカレ発掘調査の後半でも未調査部分で作業を進めたいと考えています。
■錦鯉の稚魚が生まれました (24/Aug./2010)
6月29日に日本から送られてきた錦鯉が産卵、孵化しました。いずれの錦鯉もすっかり三笠宮記念庭園の池の水に慣れたようで元気に泳いでいます。博物館が開館し、博物館と共に庭園を訪れる人の数も増加しています。錦鯉を見るのは初めてというトルコ人も多く、皆興味津々で眺めています。
■カマン・カレホユック考古学博物館での『考古学の授業』が始まりました (22/Aug./2010)
7月10日に開館したカマン・カレホユック考古学博物館は、連日多くの訪問者で賑わっています。日曜日などは入館者が500人を超します。毎週日曜日の夕方にはアナトリア考古学研究所の大村所長が博物館で子供たちへの『考古学の授業』を開始しました。研究所のあるチャウルカン村をはじめカマン、アンカラからの子供たちも数多く参加しています。子供たちからは多くの様々な質問が出され、授業は楽しい雰囲気で進められています。
■カマン・カレホユック考古学博物館がオープンしました (19/Jul./2010)
カマン・カレホユック考古学博物館は、日本国外務省ODAのプロジェクトとして2008年4月に着工後、2009年4月に竣工し、トルコ共和国文化観光省へ引き渡しが行われました。その後、 展示場の整備、展示作業を経て、2010年7月10日に、寬仁親王殿下、彬子女王殿下のご臨席を賜り、エルトゥル・ギュナイ文化観光大臣主催の開館式典が行われました。
カマン・カレホユック考古学博物館では、中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所が行っているカマン・カレホユック発掘調査で出土した遺物が展示されています。今後は、同研究所が行っているビュクリュカレ、ヤッスホユックの発掘調査による出土品も展示される予定です。
同博物館の展示ケース、パネル、収蔵庫遺物ケース等は、国際交流基金の助成を受けて派遣された展示専門家の永金宏文氏の指導協力により、トルコ共和国文化観光省史跡及び博物館総局から発注された地元業者により制作されました。 永金氏の基本展示プランに沿った展示は、アナトリア考古学研究所が協力して行いました。
開館時間:9:00〜17:00
休館日:月曜日
■錦鯉がアナトリア考古学研究所に到着しました (14/Jul./2010)
トルコで錦鯉を泳がせたいと、錦鯉愛好会プロジェクトKOIチーム(※1)からアナトリア考古学研究所に錦鯉が寄贈されました。6月29日、日本からカマンのアナトリア考古学研究所に空輸で錦鯉が運ばれました。到着後すぐに三笠宮記念庭園の池に放流され、さっそく元気な姿を見せてくれています。
※1:錦鯉愛好会プロジェクトKOIチーム(会長高江洲義滋 協賛/東海地区・関東地区錦鯉振興会、クレイマー社、郵船航空サービス株式会社 錦鯉提供生産者/一品家、クラウンフィッシュ、錦鯉新潟ダイレクト)
■第32回発掘、一般調査、分析国際シンポジウムが行われました (02/Jun./2010)
トルコ共和国文化・観光省主催の第32回発掘、一般調査、分析国際シンポジウムは、2010年5月24日〜28日にかけてイスタンブルのハルビイェにあるルトゥフィ・クルドゥダル・コンベンション・イグズィビション・センターで行なわれました。発掘に関しては学術発掘と緊急発掘を合わせて180、一般調査は68、分析セクションでは73、そして博物館が行なっている調査として30の報告がありました。アナトリア考古学研究所は、発掘調査のセクションで初日に大村正子研究員がヤッスホユック、松村公仁研究員がビュクリュカレ、二日目に大村幸弘がカマン・カレホユック遺跡について、昨年度行なった発掘調査の結果についてそれぞれ発表しました。
今回のシンポジウムの特徴は、博物館が行なっている緊急発掘の発表が数多く行なわれたことです。イスタンブルの地下鉄工事に伴い新石器時代、鉄器時代、ビザンツ時代の建築遺構が次々確認され緊急発掘調査が行われていますが、その結果が初日にイスタンブル考古学博物館のゼイネップ館長より報告されました。発掘調査とともに出土した遺物の保存、展示についての発表もあり大きな関心を呼びました。トルコ全体の経済発展に伴い各地で開発が進んでいることもあり、緊急発掘調査は増加の一途を辿るだろうと思われます。今後はこの緊急発掘への対策がアナトリア考古学全体の問題として浮上してくるのではないかと思います。また、イタリア、オーストリア、ドイツ等の調査隊が遺跡保存、復元に発表時間の多くを割いていたのもこれまでのシンポジウムではあまり見られなかったことであり、新たな傾向のように感じました。発表の中で特に注目されたものの一つとしてトルコ隊のカヤルプナル遺跡発掘調査の報告がありました。前2千年前半、特にアッシリア商業植民地時代の粘土板をはじめ印影、印章等の遺物が数多く出土しており、この遺跡がカールム(アッシリア商人の居留区)の可能性も充分に考えられます。今後の調査が大いに期待されます。(大村幸弘記)
■カマン・カレホユック北区、南区の保護屋根外し完了 (13/May./2010)
アナトリア考古学研究所は、カマン・カレホユック、ヤッスホユック、ビュクリュカレの遺跡で発掘調査終了時に発掘区にトタン等を使い保護屋根をかけています。これは11~3月までの間に降る雪、雨から出土した建築遺構、発掘区の断面を保護することを目的としています。2009年、アナトリア考古学研究所は、住友財団の助成(海外の文化財維持・修復事業助成)を受けて保護屋根を架け遺跡保存を行ないました。カマン・カレホユックの発掘区は掘り下げたことにより10mを超す深さになっているところもあり、鉄骨、さらには資材としてポプラ材を使用し保護屋根を架けています。1989年に遺跡の周辺へ植林したポプラが保護屋根資材として使用出来るところまで成長し、数年前から切り出しを行なっています。カマン・カレホユックの北区、南区の保護屋根(約5800㎡)外しは4月14日に開始、4月22日に終了しました。保護屋根を架けていたこともあり、昨年確認した総ての遺構の保存状態は良好でした。
■カマン・カレホユック考古学博物館展示準備作業のお知らせ (10/May./2010)
カマン・カレホユック考古学博物館は、日本の外務省ODAによって2008年に建設、2009年4月にトルコ共和国文化・観光省へ引き渡されました。この博物館には、1985年以来、中近東文化センターが発掘調査を行ってきているカマン・カレホユック遺跡から出土した遺物が展示されることになっております。展示作業はトルコ側が行うことになっていますが、基本展示プラン、展示ケース、パネル、博物館収蔵庫の遺物収納ケース等は、在トルコ日本大使館、日本国際交流基金が派遣して下さった展示専門家の永金宏文氏の全面的なご指導を受けながら、アナトリア考古学研究所がトルコ側に全面的に協力する形で進めているところです。展示ケース、遺物収納ケース等は先週から博物館へ次々と運び込まれています。また、これまで出土したカマン・カレホユック遺跡出土の遺物は今月中にクルシェヒル考古学博物館から新カマン・カレホユック考古学博物館へ移動されることになっています。現在、展示解説等はアナトリア考古学研究所が作成しており、6月初旬から遺物を実際に展示する予定です。7月10日に博物館開館式典を行い、その後一般公開を行う予定です。
■2009年度トルコ調査報告会・第20回トルコ調査研究会を行ないました (07/Apr./2010)
2009年度トルコ調査報告会(4月3日)、第20回トルコ調査報告会(4月4日)を行ないました。
寛仁親王殿下にご臨席賜った報告会では、第24次カマン・カレホユック発掘調査、第1次ヤッスホユック発掘調査、第1次ビュクリュカレ発掘調査の報告、そして招待講演としてヒッタイト帝国の都ボアズキョイの発掘調査の報告が行なわれました。また、 研究会では、カマン・カレホユック出土の土器、ガラス、鉄、炭化物、人骨、ヤッスホユックの彩文土器の分析結果、周辺地域の地理学的調査結果等が発表されました。
■三笠宮記念庭園のソメイヨシノが咲き始めました (01/Apr./2010)
1990年に庭園工事を開始、1993年に一般公開し、毎年多くの訪問者で賑わっている三笠宮記念庭園(アナトリア考古学研究所に隣接)のソメイヨシノが、今年も満開の季節を迎えました。開花は例年より2週間以上も早く、来週には庭園にある20本程のソメイヨシノが満開になるものと思います。